第4回演奏会 曲目解説

Ⅰ ラッスス "モテットとマドリガル”


モテットとは、もともとキリスト教カトリック教会の典礼のためにラテン語で書かれた無伴奏合唱曲をさす。
マドリガルとは、14~16世紀にかけてイタリアを中心に合唱で歌われることの多かった世俗曲の一種。 

① IMPROPERIUM (軽蔑)  (詩篇69.20-21 ;日本聖書教会 旧約聖書 1955年改訳) そしりがわたしの心を砕いたので、わたしは望みを失いました。
わたしは同情する者を求めたけれども、ひとりもなく、
慰める者を求めたけれども、ひとりも見ませんでした。
彼らはわたしの食物に毒を入れ、わたしのかわいた時に酢を飲ませました。

② JUBILATE DEO (神へ歓呼せよ)  (詩篇100.1-3 ; 同上 ) 全地よ、主にむかって喜ばしき声をあげよ。
喜びをもって主に仕えよ。 歌いつつ、そのみ前にきたれ。
主こそ神であることを知れ。

③ SUPER FLUMINA (バビロン川のほとりに)  (詩篇137.1-3 ; 同上 )
われらはバビロン川のほとりにすわり、シオンを思い出して涙を流した。
われらはその中のやなぎにわれらの琴をかけた。
われらをとりこにした者がわれらに歌を求めたからである。
われらを苦しめる者が楽しみにしようと、「われらにシオンの歌を一つうたえ」と言った。

④ MATONA MIA CARA (いとしのマドンナ)   マドンナよ、おいらの歌を聞いとくれ。 俺たちはお似合いだぜ、ギリシャの酒と鳥料理のように。
もしもお前が望むなら、鷹を連れて狩りに行き、おみやげに山鴨を持って帰るよ。 気のきいた口説き方もペトラルカも知らないけれど、おいらは働き者、夜も寝ないでせっせとお努めするからさあ。

⑤ TUTTO LO DI (一日中)  (周藤和子訳詩) 一日中、きみは言う。「歌って!」 見てよ、こんなに息が切れている。 なぜこんなにも歌わせるの。
言ってくれたらいいのに、「鳴らして、Nonesの教会の鐘でなく、わたしの、わたしのシンバルを鳴らして」と。
ああ、もし、そうできるなら、きみを僕の下に横たえたい。



Ⅱ 黒人霊歌


黒人霊歌とは、一言で言うならば奴隷生活の苦しみと孤独の中でキリスト教信仰に目覚めた黒人たちが救済への願いをこめて歌った歌である。
そのルーツはアメリカ奴隷制度とキリスト教を背景に、彼らの祖先がアフリカから持ち来たったものと西洋音楽との融合のもとに作り出した独自の音楽である。

① Deep River 黒人霊歌の中でも代表的な歌。深い河、ヨルダン河を越えることにはいくつもの意味が込められている。
モーセが目指した信仰上のふるさとカナンへ行くことあるいは奴隷制度の無い自由な地へ行くことでもあり、また現世の苦役から逃れて天国へ行くことの比喩でもある。
② Sometimes I Feel Like A Motherless Child ガーシュインの有名なアリア「サマータイム」の下敷きとなった歌。
母と子が別々に売られてゆき、二度と会うことのない悲劇が普通だった奴隷社会の異郷の地で、厳しい労働に明け暮れる彼らの胸に去来したのはみなし子のような想いであったろうか。
③ My Lord, What a Mornin’ 別名「主よ、なんという悲しみ(mourning)」という題名と歌詞でも歌われている曲であるが、本日は「主よ、なんと素晴らしい朝(morning)」の歌詞で演奏する。神の裁きへの畏れと救いへの祈りとが美しくも厳かに歌われている。
④ Steel away 夜遅く、奴隷主や監督が寝静まるころを見計らい、居住区域から離れた小屋や野原の窪地などで行われた秘密の集会。
そしてお互いに手を握り締め小声でささやくように歌ったのである。
⑤ Joshua Fit The Battle O’ Jerico モーセの後継者ヨシュアが40年の長旅の末、約束の地エルサレム目前のエリコの町を攻め落とす勇壮な物語を歌った歌。
聖書も持たず、字も読めない黒人奴隷たちは説教や聖書の物語などを歌に残し、仲間や子孫に伝えたのである。



Ⅲ  木下牧子“女声合唱のためのア・カペラセレクション”




Ⅳ ミサ ブレヴィス


作曲者のパレストリーナ( Giovanni Pierluigi da Palestrina:1525年-1594年)はイタリアローマ近郊の生まれで、16世紀の最も有名な教会音楽作曲家。
一般に生誕地に因んでパレストリーナと呼ばれる。ローマで聖歌隊員を務めた後1551年サンピエトロ大聖堂の楽長となる。
その後、1555年ラッススの後任としてラテラノ大聖堂楽長、サンタ・マリア・マジョーレ教会楽長やカペラジューリア楽長を務めるなど公的には成功するが、1572年からの8年間に疫病により2人の息子と妻を相次いで失う。そして妻の死後8ヶ月で富裕な毛皮商の寡婦と再婚したのは、財政的援助を得て自作品を出版したいとの強い思いからだったといわれている。
1581年以降、「バビロン川のほとりに」、「ソロモンの雅歌」、「スタバト・マーテル」などの名曲が相次いで世に出ている。

ミサブレヴィスは、名前の通り「短いミサ」であるが、パレストリーナの全作品中で最もポピュラーな曲と言ってもよい。
歌い易く聴き易いが決して単調でも平凡でも無く、パレストリーナカーブと呼ばれる美しい旋律と、歌詞表現に無理がなく深い宗教性と高い気品を併せ持つ心地よい響きが広く愛唱される所以であろう。